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『禽獣』(きんじゅう)は、川端康成の短編小説。川端康成の「抒情」と一対にある「非情」があらわされた名作とされている〔『新潮日本文学アルバム16 川端康成』(新潮社、1984年)〕。犬や小鳥を愛育し、女の舞踊に打ち込む厭人癖の男の、禽獣(動物)と女に向けられる抒情と非情の眼差の物語。禽獣たちの無心の生命への讃歌の裏側に潜む虚無が描かれている作品である〔〔藤本正文「川端康成研究――『伊豆の踊子』から『禽獣』まで」(広島大学近代文学研究会、1971年8月)〕〔三島由紀夫「川端康成ベスト・スリー――『山の音』『反橋連作』『禽獣』」(毎日新聞 1955年4月11日号に掲載)。『亀は兎に追ひつくか』(村山書店、1956年)に所収。〕。 1933年(昭和8年)、雑誌『改造』7月号(第15号第7号)に掲載された。なお、この際の編集担当は徳廣巌城(上林暁)だった〔〔「年譜」(文庫版『伊豆の踊子』)(集英社文庫、1977年。改版1993年)〕。初出誌では一部に伏字が行われた〔「解題」(『川端康成全集第5巻』)(新潮社、1980年)〕。単行本は、翌年1934年(昭和9年)4月19日に改造社より刊行の『水晶幻想』に収録された後、その翌年1935年(昭和10年)5月20日に野田書房より刊行された。文庫版は新潮文庫、角川文庫、講談社文芸文庫に収録されている。 == 作品背景 == 『禽獣』執筆の頃、川端康成の住いは東京市下谷区上野桜木町44番地(現・東京都台東区上野桜木2丁目)から、同じ上野桜木町36番地に転居しており、実際にそこで様々な犬や小鳥を飼っていて〔川端秀子「川端康成とともに」(新潮社、1983年)〕〔、一時は犬が9頭もいたこともあった〔川端康成「あとがき」(文庫版『抒情歌・禽獣―他五篇』)(岩波文庫、1952年)〕。また、1929年(昭和4年)にカジノ・フォーリーの踊り子たちを知り、舞踊にも打ち込んでいたこともあり、その体験を活かした作品となっている〔。川端は1931年(昭和6年)には、カジノ・フォーリーの人気踊子・梅園龍子を引き抜き、洋舞(バレエ)を習わせ、翌年には本格的な舞踊活動(パイオニア・クインテット)をさせていた〔〔。カジノ・フォーリーでの体験は、新聞連載小説『浅草紅団』(1929年12月 - 1930年2月)にも活かされた〔。 川端は『禽獣』について、「できるだけ、いやらしいものを書いてやれと、いささか意地悪まぎれの作品であつて、それを尚美しいと批評されると、情けなくなる」〔川端康成「文学的自叙伝」(新潮 1934年5月号に掲載)〕、「私は『末期の眼』と『禽獣』とが大きらひだ」と述べ、それが度々批評の足がかりにされたのも嫌悪の一因かもしれないとし〔「あとがき」(旧版『川端康成全集第10巻』)(新潮社、1950年)〕、『禽獣』に対する嫌悪感を次のように繰り返して語っている。 なお、作品のラストで出てくる16歳で死んだ少女の遺稿集は、『山川彌千枝遺稿集』のことである〔高見順『昭和文学盛衰史』(講談社、1965年。文春文庫、1987年)〕〔福田清人編・板垣信著『川端康成 人と作品20』(センチュリーブックス/清水書院、1969年)〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「禽獣 (小説)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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